院 長
小作 拓人(コサク タクト)
呉竹学園 東京医療専門学校(鍼灸あんま
マッサージ科)卒業
はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師
スタッフご挨拶
All About Me
経 歴
呉竹学園 東京医療専門学校 本科卒
日本伝統医学研修センター、相澤良に師事、経絡治療と現代治療の双方を学ぶ。
都内で複数の鍼灸院勤務。
多くの臨床経験の中で、百歳まで幅広い症状をお持ちの患者様を治療させていただきました。
・「翠治療室」(訪問治療専門)開業
・仙川にて「SUI鍼きゅう治療室」開業
自己紹介
□畑違いの仕事へ
この世界に入るまで、雑誌の編集者、紙媒体のデザイナーとして働いて来ました。
仕事は刺激もあり楽しかったのですが、日々の残業や締切前の徹夜は日常茶飯事。
締切に追われる日々の中で、まだ20代の体はいつも疲れていました。
そこでその疲れを癒すために取るために、リラクゼーションサロンに通うように。
その中で、マッサージの気持ち良さを知り、こんな世界で働くのも良いかもしれない!
そして、その思いが膨れ上がり異業種のマッサージの世界に飛びこみました。
□専門知識習得の道へ
何もわからずリラクゼーションの世界に飛び込み数年働きましたが、
仕事は楽しく、意外にも自分に向いてる世界に感じました。
すると自分の欲求として、もっと専門的に知識を身に付けて患者様に向き合いたい。
そんな気持ちが沸々と湧いて来ました。
そこで、働きながら国家資格取得する為に、東京医療専門学校で3年間、
鍼、灸、マッサージを学び、国家資格を取得する事ができました。
これまでの施術に鍼や灸、専門的なマッサージの技術、知識を身に付けたことで、
診て来た患者様にも、自信持って向き合うことができるようになりました。
患者様は、10代のバレリーナから100歳のお年寄りのリハビリまで多くの臨床を経験してきました。
□コロナ禍における決断
この世界に入ってからは東京都港区内でいくつかの鍼灸院を渡り歩き働いて来ました。
コロナ第一波の余波。
当時働いていた恵比寿から人が消えました。当然、恵比寿にある鍼灸院からも人が消えました。
見たことも無い光景に絶句したのを今でも覚えています。
この状況で、自分自身の今後を考える良いきっかけとなりました。
コロナはいつまで続くかわからない、しかしこの状況は必ず沈静化し元に戻るだろう。
そのときは自分一人で開業しよう、そう考え動き出すことにしました。
□仙川という街
私は現在、妻と息子と京王線沿線に住んでいます。
妻と二人で住んでいたときは仙川に出向くよりも新宿に向かう事がほとんどでした。
子どもが生まれ、外出をするときに仙川がとても居心地の良い街だと気がつきました。
フードコートなんて行ったこともなかった私ですが、今では島忠ホームズをよく利用しています。
妻と息子のヘアカットも仙川、ちょっとコーヒー飲みに行こうか?となれば仙川へ。
特に仙川に治療院を開きたいと限定していたわけではないのですが、隠れ家的なサロンを開きたいとなんとなくイメージしていた中で、何かの縁で導かれたような気がしています。看板も出していないので、お店の場所は全く認知されていません。そんな空間ですが、気軽に来ていただける治療室を目指しています。
これからは患者様とマンツーマンで向き合い、体の不調に真摯に向き合いたいと考えています。